大島莉紗 〜パリ国立オペラ座からの便り〜

パリ国立オペラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者によるブログ。

疑念

今シーズン始まって4ヶ月。今年は去年までとかなり傾向が違い、戸惑っています。

この4ヶ月でオペラ9作品、バレエ3作品、コンサート2回の公演を行いましたが、女性指揮者が6人も登場した事です。ジェンダーギャップを無くす、男女雇用均等法の様なものが世界で叫ばれ始め、オペラ座でも政府からの要請を受け、何割かを女性の指揮者にしなければならないようです…

 

今までは年に1人いるかいないかの女性指揮者でしたが、この短い期間に6人というのは驚異的です。

古く遡ればオペラ座も元々は男性のみのオーケストラで、数年前に引退したフルートの主席奏者だった方が、初の女性奏者だったそうです。その様に考えると意外にも最近の事です。

現在、オーケストラの中で女性の比率が高いのはやはりヴァイオリン。演目によって第一と第二ヴァイオリンが入れ替わるので、毎回ではありませんが、たまに全て女性だけとか男性は1人という時もあります。しかし金管楽器になると女性奏者は1人だけ。どんなに政府が雇用の均等を図ろうとしても、体力的にもやはり無理があります。

 

指揮者もやはり、女性にはキツい仕事のように思えます。特にオペラは時間も長く、オーケストラのリハーサルを行うまでにも歌手との打ち合わせ、舞台稽古など様々な長い期間を経て、やっと初日を迎えます。ただヴァイオリンパートを弾ききるだけでもヒーヒー言っている私から見ると、驚異的な信念と体力を持ってないと成し遂げられない仕事です。

 

今まで女性指揮者の活躍が少なかったのは、社会的風習もあるかもしれませんが、やはり絶対的な人数が少ないからでしょう。所がここに来てこの需要。果たして女性という武器をなくしても同じような舞台に立てるかというと、疑問を感じざるを得ない人も正直いるような気がしてなりません…

 

 

シーズンスタート

今シーズンは8月末のビアリッツでのコンサートからスタートしました。元々デュダメルが振る予定でしたが、急な辞任によりビシュコフが代わりに振る事になりました。

 

コンサート当日に移動し、次の日の朝には帰京(?)という強行スケジュールで、自由時間も3時間だけしかなかったのであまり期待していなかったのですが、パリの肌寒くグレーの空から移動すると、真っ青な空の下、引き込まれそうなブルーの海が広がっていたのでした。一気にテンションが上がり海岸沿いをお散歩すると、水着を着た同僚がチラホラと…これだけ少ない時間しかないのに、しっかりと水着を持ってきて楽しむ彼らの姿は逞しく、さすがはフランス人と改めて感心させられました。

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コンサートは隣町のSt. Jean du Lutzという所の教会で行われました。オーケストラが演奏するにはかなりサイズが小さく、残響も多めで難しい場所ではありましたが、ロンドンのリバティのデパートを思い起こす木で作られた内部と青くライトアップされた幻想的な祭壇は本当に美しい教会でした。

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しかしオーケストラの大人数を収容できる楽屋などはもちろんなく、教会裏にテントや簡易トイレが設置されたのでした。仕方ない事とは言え、少しテンションが下がったのも事実…

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コンサートは無事に終わり、これからまた長いシーズンが始まります…



1年経ち…

バタバタしている間に1年経ってしまうとは…

前回投稿した去年の9月に、誰が今の様なオペラ座の状況を予想できたでしょう?

あの頃はデュダメルとの今後に期待し、リハーサルに胸躍り…

 

今年の5月にデュダメルの辞任が発表された時は、本当にショックでした。予兆は感じ、辞任も時間の問題とは思っていましたが、これ程早いとは…

家族との時間を増やしたいと言うのが表向きの理由ですが、それだけではないでしょう。本人ではないので真の理由はわかりませんし、ここで私が何かを言及するのは避けますが…

 

4月に行われた彼とのコンサートでは、練習の時からなんとなく元気がなく、音楽的にもイマイチ乗っていない感じでした。シーズン初めに行ったコンサートの時とは明らかにテンションも違う…

コンサートでは聴衆も奏者も熱狂していましたが、私はやはり何かの違和感が抜け切りませんでした。私から見たら演奏も彼の本来の躍動感からは程遠く、残念な印象でした。その様な事から、もうすぐ彼は辞めてしまうのでは?と頭を掠めましたが、周りは気づいてもいない様子で…

 

その直後に5月の彼が振る予定だったバレエの公演を理由もなくすべて降板し、さらに辞任の発表。

私の第六感があたってしまいました。

来年度の彼の予定は全てキャンセルされ、4月のコンサートを最後に2度と戻る事はなくなりました。

 

今後の人選は未定。彼以上の人が就任するのはまず不可能でしょう。やっと音楽的にも解き放たれた感じだったものが、また元に戻るのかと思うとやらせない気持ちで一杯です。

トスカでの事故

トスカの3幕の冒頭に、男の子の歌のソロがあります。毎回トスカをやる時には、二人の男の子が交代でソロを担当します。

声変わりする前のまだか細い声で、大きなバスティーユの舞台でたった一人で2分程の大事なソロ。毎回大丈夫かなとハラハラするのですが、こちらの心配もよそに小さな声ながらも間違えもせずに無事に終えるのが常でした。

 

ところが3回目くらいの公演の際、男の子の歌う場所になって指揮者が合図しても全く声が聞こえてこない。聞こえないのではなく、明らかに歌っていない…入りを間違えたりわからなくなってしまったのかなとも思いましたが、その後もいくら指揮者が合図しても歌えなくなってしまいました。ちょうど私達は静かに音を伸ばしているだけの場所なので、こちらとしても何を助ける事もできません。デュダメルもさすがに顔色が変わり、必死になって取り繕おうとしていましたが、事態は変わらず…オケの中の誰かが思いあまって男の子のメロディーを小さな音で弾き始めましたが、それも失礼なので途中で終わり…

 

オケも男の子の歌を当てにしてカウントする様な所もあり、一瞬全てが沈黙になる瞬間がありました…オペラ座に入ってから何十回も弾いたトスカで初めて起こった事故です。

私達にとっても衝撃的でしたが、終演後のカーテンコールで普通は挨拶する筈の男の子が出てきませんでした。あんなに小さな子が負ってしまうであろう責任の重さには、想像を絶する物があります。

オケの中でも男の子の今後を心配する声が多数ありました。もうクビになってしまうのだろうか…そうなると彼の今後の人生で大きな心の傷になってしまうのではないか…

 

みんなが心配した次の公演は例の男の子ではなく、もう一人の男の子。こちらは問題なく小さな声ながらもしっかり歌えました。

もうこの子一本でいってしまうのかな?と思った、その次の公演。例の男の子が復活しました。

完璧な入りで、しかも客席の一番後ろまで通るであろうしっかりとした声で音楽的に歌いきりました。それには私達も感動し、カーテンコールでは私達からの熱狂的な拍手を受けていました。

 

そう、その事故が起きてしまった男の子は、今まで経験した子供の歌手の中でも飛び抜けて優秀で、その歌声に練習の時から感心していました。とても音楽的なので、きっと普通の人よりも多感であろう、だからこそ起きてしまった事故なのだと思います。でも数日で見事に復活させたこの経験は、今後の彼の人生においても貴重な経験になった事と思います。

トスカ

すっかりご無沙汰してしまいました…

9月からまた新しいシーズンが始まり、こちらもできる範囲内で続けていきたいと思います。

 

今シーズンからは気分を変えて、青チームのオーケストラに移動しました。元々、青に長くいましたが、緑チームがウィーンにツアーに行くという年に、ウィーン行きたさに緑に移動し、そのまま6年過ごしました。そして今回、担当するプロジェクトが青の方が魅力的だったので、古巣に戻ってきました。

 

シーズン最初はデュダメル指揮のトスカ。パリの観客もオケの人達もみんな大好きなトスカですが、私はあまり好きではありません。プッチーニのいかにもお涙頂戴的なメロディーが白々しく感じ、しかも大抵の指揮者が馴れ合いの様に振って、歌手と相まって好き放題に伸び縮みするのが耐えられません…

そんなオペラをデュダメルがどの様に振ってくれるのか、興味深く始まりました。

 

そして昨日の初日、出てきただけで「ブラヴォー、マエストロ」という声が飛び、大興奮の中終演しました。

エネルギッシュではあるけれど、どこまでもエレガント。整然と自然で無理のないテンポ運びでありながら、ここぞという時は物凄いアクセルをかける。様々な対比する要素を持ち合わせながら集中力が途切れず、最後まで飽きさせられませんでした。

10回近く弾いたトスカという曲で、初めてクリアーに構造を見せられた気がしました。

 

実は昨日の公演、マクロン大統領ご夫妻が聴きにいらしていました。最初からいらしたのかはわかりませんが、3幕が始まる前にマクロンが見えるとの事で、ピットから探していました。その時は見えなかったのですが、カーテンコールで立ち上がると、確かにブリジット夫人の姿が。しかしその横にいたマクロン大統領はお付きの人かなと思う程オーラがなく、意外でした。とは言え、立ち上がって拍手を贈ってくださっていました。これからも頻繁に足を運んで頂いて、オペラ座にもっと補助金を出して頂きたいものです(笑)。

フィガロの結婚

今シーズン最も楽しみにしていた演目のひとつである、デュダメルによるフィガロの結婚

 

彼の軽快で流れる様なテンポと明るさが、モーツァルトにとてもよく似合っています。

今回の新しい演出では、ガルニエのオペラ座の楽屋や衣装部屋が舞台となっています。掲示板に掲示されているスケジュールまで本物が使われていますし、楽屋のドアも全て本物と一緒。バレリーナも出てきて、本当に舞台裏に紛れ込んだ気分になります。

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とは言え、感染者が1日50万人を超えてしまったフランスなので、オペラ内でも陽性者の嵐です。歌手も次々に感染し、毎日の様にキャスト変更の発表があります。新しい演出の為に、歌手でこの演出を経験している人は皆無。本当に僅かな時間で演出を覚えるか、下稽古をしていた控えの歌手が演技する横でそれに合わせて歌うか。代理の歌手も大変ですが、何よりも大変なのが、キャスティング係の人。昨日も終末に苦労して2人の代役を確保したにもかかわらず、当日になってオーケストラの陽性者が多すぎて演奏できずに公演はキャンセル。本当にやりきれない思いだと思います…

 

オーケストラ内も、ここはオペラ座のオケかと思うくらいエキストラの人で溢れています。陽性者と濃厚接触者が多い事に加え、24日からフランス内のワクチンパスの定義が変わった為に健康であるのに弾けない人が出てきてしまったからです。

 

今まではワクチン未接種者は24時間以内発行の陰性証明書があれば問題ありませんでしたが、それが廃止になり、3回接種済みの人か6ヶ月以内に罹患した人以外は本番で弾けなくなってしまいました。

なので絶対数が少なくなり、益々やりくりも大変に…

 

フィガロの結婚はなるべくキャンセルなしで弾きたいのですが、今後どうなる事やら…

強制隔離

12月のバレエ公演の半分しか乗っていなかったので、年末年始に日本に帰る事ができました。

ちょうどフランスの感染者が増え始めた頃で、しかし周りのヨーロッパの国に比べると抑えられていたので、帰国時の施設での強制隔離は3日間。6日に切り替わる寸前のタイミングでラッキーでした。

 

隔離のホテルにもかなりの差があり、羽田近辺のホテルに泊まれる人、福岡や仙台などにチャーター機で飛ばされる人、そして大学の寮に回される人など、事前にサーチしていたので、どこに何日飛ばされても良いように、非常食からコップや歯ブラシなど様々な物を用意していました。私の中で最も避けたかったのが大学の寮。でも、嫌だと思えば思う程引き当ててしまうのが私のパターン。なるべく考えないようにしていました。

 

同じフライトには、家族連れと若者が多く何か嫌な予感を感じていました。しかし羽田空港に着いて検査結果を待ち、ホテルへ向かうバスを待っている間も絶対に行き先は教えてくれません。一応ランダムにリストに振り分けてそうではありましたが、明らかに家族連れは別枠。そして私は若者とおじさんグループに入れられました。

 

駐車場でバスに乗る前に行き先を聞いた人がいましたが、それもはぐらかされ…全員が着席して出発する際に運転手さんに、これから和光にある税務大学の寮へ向かいますと言われた時には落胆と同時に、どこにも逃げられない絶望が…

 

寮だったのでベッドメイキングも自分で行わなければならず、長旅の後にシーツや布団カバーをつけている時には泣きたくなりました。WiFiルーターを渡され、自分でセットしなければなりません。

 

3食のお弁当は廊下に置かれ、一斉放送によって配膳を知らされます。

テレビも小さな物がありましたが、何故か2.3分で消えてしまい、その都度OKボタンを押さなければなりませんでした。フロントに電話で問い合わせると、新しい物を持ってくるのでチューナーと本体を廊下に置いてください、と。しばらくすると電話があり、新しい物を廊下に置いたので自分で配線して使ってくださいとの事でした。感染リスクの問題で部屋の中の事は全て自分で行わないといけないので、仕方ありません…

 

その様な余計な手間もあり、意外と暇を持て余す事もなく隔離が終わりました。

その後の自宅での自主隔離も含め2週間、毎日5回のビデオ通話や位置情報の送信などでの、居場所チェックがありました。拘束感が強く、かなりストレスでしたが、全ての通話に答えて皆勤賞。少なからず達成感がありました。

 

フランスに帰国の際は陰性証明だけ必要で、隔離もなし。そして空港ではその証明の提示も求められず…まさにざるの様な検閲。

次の朝から仕事が始まりました。