大島莉紗 〜パリ国立オペラ座からの便り〜

パリ国立オペラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者によるブログ。

強制隔離

12月のバレエ公演の半分しか乗っていなかったので、年末年始に日本に帰る事ができました。

ちょうどフランスの感染者が増え始めた頃で、しかし周りのヨーロッパの国に比べると抑えられていたので、帰国時の施設での強制隔離は3日間。6日に切り替わる寸前のタイミングでラッキーでした。

 

隔離のホテルにもかなりの差があり、羽田近辺のホテルに泊まれる人、福岡や仙台などにチャーター機で飛ばされる人、そして大学の寮に回される人など、事前にサーチしていたので、どこに何日飛ばされても良いように、非常食からコップや歯ブラシなど様々な物を用意していました。私の中で最も避けたかったのが大学の寮。でも、嫌だと思えば思う程引き当ててしまうのが私のパターン。なるべく考えないようにしていました。

 

同じフライトには、家族連れと若者が多く何か嫌な予感を感じていました。しかし羽田空港に着いて検査結果を待ち、ホテルへ向かうバスを待っている間も絶対に行き先は教えてくれません。一応ランダムにリストに振り分けてそうではありましたが、明らかに家族連れは別枠。そして私は若者とおじさんグループに入れられました。

 

駐車場でバスに乗る前に行き先を聞いた人がいましたが、それもはぐらかされ…全員が着席して出発する際に運転手さんに、これから和光にある税務大学の寮へ向かいますと言われた時には落胆と同時に、どこにも逃げられない絶望が…

 

寮だったのでベッドメイキングも自分で行わなければならず、長旅の後にシーツや布団カバーをつけている時には泣きたくなりました。WiFiルーターを渡され、自分でセットしなければなりません。

 

3食のお弁当は廊下に置かれ、一斉放送によって配膳を知らされます。

テレビも小さな物がありましたが、何故か2.3分で消えてしまい、その都度OKボタンを押さなければなりませんでした。フロントに電話で問い合わせると、新しい物を持ってくるのでチューナーと本体を廊下に置いてください、と。しばらくすると電話があり、新しい物を廊下に置いたので自分で配線して使ってくださいとの事でした。感染リスクの問題で部屋の中の事は全て自分で行わないといけないので、仕方ありません…

 

その様な余計な手間もあり、意外と暇を持て余す事もなく隔離が終わりました。

その後の自宅での自主隔離も含め2週間、毎日5回のビデオ通話や位置情報の送信などでの、居場所チェックがありました。拘束感が強く、かなりストレスでしたが、全ての通話に答えて皆勤賞。少なからず達成感がありました。

 

フランスに帰国の際は陰性証明だけ必要で、隔離もなし。そして空港ではその証明の提示も求められず…まさにざるの様な検閲。

次の朝から仕事が始まりました。